2017/12/30
台南高雄旅4日目のお昼ごろ。
海辺のバーにて台湾ビール中ジョッキを頂いて、昼間からへべれけに酔っぱらった後は・・・。
ちょっと散歩するか。
お昼を過ぎると太陽が照り付けてきて、気温が上がってきました。
酔っ払っていることも相まって汗がダラダラ。
ふー暑い。
暑さと酔いにもめげず、旗津半島の北端を目指して歩きます。
半島の北端には、小高い丘(旗後山)があり。
丘のてっぺんの構造物に人が見えます。
この構造物は「旗後砲台」という砲台跡。
高雄観光のクライマックスの一つです。
高いところには登ってみなければ気が済まない性質なので、あそこまで歩いていくことにします。
待ってろよ!(←誰も待ってません)
山のふもとには・・・。
シェア自転車やレンタルバイクが多数駐輪していました。
無残な姿になって放置されているシェア自転車もあり。
いけませんなー。
山に登る前に、謎のトンネルを発見。
「旗津星空トンネル」とのこと。
トンネルがあると、入ってみなければ気が済まない性質なので、中へと突入します。
何が星空やねん、と、トンネル内の天井を見上げると・・・。
薄暗いトンネル内に星座が描かれていました。
LEDで光っているわけでもなく、地味~な装飾。
トンネルを抜けるとそこは海だった。
広大な海(旗津湾峡)の水平線が広がっています。
この遥か先には中国大陸があるはずですが、当然そこまでは見えません。
トンネル方向を振り返ってみると・・・。
荒々しい岩肌になっていて、迫力ある景観が広がっています。
トンネルの出口の脇には・・・。
こんなような防御力高めのトーチカがあって殺伐としています。
なるほど、ここから海上を見張っていたわけですね。
このトンネルは日本統治時代にくり抜かれた軍事用のトンネルなのだそうな。
有事の際には、このトンネル経由で海辺に兵器が運搬されたりしたのでしょうかねえ。
では、旗後山に登りましょう。
うっ、結構急な階段。
酔っ払いにはキツいです。
やはり先に山に登ってから、酒を飲むべきだったか・・・。
途中から緩やかな坂道になるも・・・。
酔っぱらっているとすぐに息が切れてしまいます。
ハアハア。
5分ほど登って、頂上の「旗後砲台」に到着。
思ったよりも低い山で良かったです。
コンクリートむき出しで殺伐とした雰囲気。
中へ入ると・・・。
奥の方には、コンクリートの小部屋がいくつもありました。
弾薬庫なのか兵舎なのか独房なのか。
ごめんくださーい。
誰もいません(そりゃそうだ)。
味のある赤いレンガ造りの部分もあります。
記念撮影をする観光客で賑わっていました。
そして、砲台の上からは・・・。
さっきの砂浜を一望できます。
おお~いい眺めじゃ。
こちらは反対側の海側。
こちらも水平線が見えて眺めが良いです。
まさに海上防衛の要。
砲台を作りたくなる気持ちが分かります。
こちらは砲台の入口の門。
元々は「威震天南」と書かれていたのだそうな。
この「旗後砲台」は清の時代に築かれたもので、中国式の門構えになっています。
門の両脇になぜ「囍」(ダブルハピネス)の文字が刻まれているのかは不明。
門の脇には・・・。
この門についての説明書きがあり。
この文章とウィキペディアの情報等を総合して、この「旗後砲台」の歴史を極めてざっくりと振り返ってみましょう。
1895年のこと。
日清戦争で日本が清に勝利し、当時清の支配下にあった台湾が日本に割譲されることになりました(下関条約)。
条約の調印後、上陸しようとする日本海軍に対して、ここ旗後山に駐留していた清の残兵が抵抗するという事件がありました(乙未戦争)。
日本海軍の艦砲射撃と上陸作戦により、この「旗後砲台」は1日で陥落。
その時に、この門の門額が破壊されてしまったのだそうな。
上の写真の「南天」の2文字は、昔の写真を元に高雄市政府が1991年に復元したものとのこと。
傷ついた門とコンクリートの構造物が、当時の戦いの歴史を今に伝えています。
砲台近くには、きちんとトイレも整備されています。
昼間からビール飲んだせいでトイレが近い・・・。
助かりました。
一度山を下りて・・・。
今度は「高雄灯台」を目指して階段を登ります。
山を下りたり上ったりで、さらに体力を激しく消耗。
こちらが「高雄灯台」。
青空を背景に、純白の灯台が映えます。
ここからの眺めもイイです。
港の彼方に「高雄85」をはじめとする高層ビル群を眺めることができました。
観光客の姿も多数あり。
もし夏に来ていたら、暑くてこんなに歩き回ることはできなかったことでしょう。
山を下りて、旗津の繁華街に戻った頃には・・・。
すっかり酔いは覚めましたが、歩きすぎて疲れたしハラヘッタ。
次回は、旗津で海鮮のお昼ご飯の編。